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悲鳴、幻覚、備忘録等

仮面ライダーオーズ 復活のコアメダル 感想

仮面ライダーオーズ 復活のコアメダル」を観てきた。
悲しい。
この作品が仮面ライダーオーズの10周年記念として公開されたことが悲しく、悔しい。

これは「仮面ライダーオーズ 復活のコアメダル」を楽しめなかった人間が怒りと悲しみのまま書いている文章です。

自分の感情を整理するために書いているので読みにくいと思いますし、本作品を楽しめた人は読んでも楽しくないと思います。

以下ネタバレしかありません。

 

 

 

 


・映司の死は本編の否定としか思えない
仮面ライダーオーズ本編に置いて、火野映司はずっと他人のために命を投げうとうとしていた。
それをあらゆる人が、アンクが、手を伸ばすことで否定してきた。
そうして最終回で映司は、自分の欲望は自己犠牲によって成されるものではなく「人々と手をつなぐ」ことで果たされると気づいた。

なのになぜ少女を庇って死なせる必要があったのか。
かつて助けられなかった少女への贖罪というなら、既に本編で済ませている。遊園地回やプトティラ回で。
あの状況なら映司は庇うはずというのは確かにそうだけども、そもそもそういう状況を描いてほしくなかった。
最終回を経た後に「でも自分を犠牲にして一人で死にます」なんて描かれたら、じゃあ本編でみんなが映司に手を伸ばしたのは無駄だったじゃないかとしか思えない。
あの死に方が許されるのは最終回以前だけだろう。


・キャラの扱いが全体的に雑
特にグリード。
アンク以外は復活の理由すら描かれずろくな見せ場もないままあっけなく退場。流石にひどい。
何のためにオリジナルキャストを呼んでまで登場させたのか。
ファンサのためだけなのか?ウヴァだけ露骨にゴーダの噛ませ犬にしたのはネット受けを狙ってなのか?と邪推が止まらない。

アンクが映司に対してひたすら受け身なのも疑問。
涙を流すほど映司に情が湧いていたというならば、たとえ追い出されても映司の身体に入って延命させるのでは?
欲望の化身であるグリードなのになぜそこで大人しく引き下がるんだ。
信吾は生きており、かつ人類もほぼ滅亡しているらしいので腕のままうろついてもそれほど問題ないはずなのに、ずっと信吾の身体を使っていたのも疑問。

比奈ちゃんですら雑。
ほぼアンクとの交流しか描かれないうえ、なぜか使う必要もない兄の身体を使われていることにツッコミもしない。
本編で言っていたセリフの薄っぺらいオマージュを行うためだけの舞台装置と化している。

映司に関しては上記の通り。本編から何も学んでいない状態になってしまった。なんでだよ。

新キャラのゴーダも存在が薄い。
せっかく映司の欲望から生まれたという面白みのある設定なのに掘り下げが甘い。
映司本人になろうとするかのような素ぶりを見せながら、やっていることは映司らしくない中途半端な真似。
映司の欲望を叶えると言いながら、具体的に彼の欲望がどのようなものかは触れずに結局力を求めて暴走。
「己の欲望を見誤って力を求め暴走する展開」も既に本編でやっているのになぜ似たようなことを薄い理由で行うのか。
思わず製作陣は映司の欲望が何か把握できていないのでは?と邪推してしまった。

・本編のセリフの引用が多すぎる
これもやはり邪推にすぎないが「これを言わせておけばファンは喜ぶだろう」といった意図が透けて見えた。
それくらい本編の引用が多く、扱いが雑に感じた。


書いているうちに疲れてきてしまった。
なぜこんな本編をまるっと否定するかのような作品を、全体的に雑な作りの作品を、10周年記念作品として出されなければいけなかったんだろう。
パンフレットも買わずに劇場を出たのは久しぶりだ。何を思ってこれを製作陣は良しとしたんだ。

10周年記念作品が公開されると決まった時は映司とアンクが再びともに歩める「いつかの明日」がきたんだとそれはもう喜んだというのに。
未来への希望を死の絶望で閉ざされてしまった。

繰り返しになるが、この作品が仮面ライダーオーズの10周年記念として公開されたことが悲しく、そしてとても悔しい。